アッサラーム・アレイコム。

★すみません。まず正誤表です。「マーラガ・マラーゲ」(『翡翠楼・6』巻末
随筆P3・P30地図)

★今回はなんと高田美苗さんに表紙と扉を描いていただきました。
本当にどうもありがとうございました。もうロスタムがむちゃくちゃに素敵です。
感激です。もったいないです。
 中村先生もついもすばらしいタイトルをありがとうございました。
イラストを描いてくださった亜神さん、影山さん、ふみ吉さん、水木弘さん。
 もう感謝感激です。
 それからまたまた見かねて手伝ってくれた必殺助っ人「んZ」さん、
ありがとうございました。この本ができたのは貴方のおかげです。
 足を向けて寝られません。

 実はこれ、来年の夏の予定だったのです。
 冬は出るつもりなかったのですが、いろいろあって急遽繰り上げたので、大変でした。
 それにしても一回きりのはずだったのに。ついに3回目。
しかも今まで友達まかせだったので、自分でやったのは今回が始めて。
 自分でもびっくりしています。

★今回はスペインから離れて、日本に戻ってきてしまいました。
しかも巻末ではイランに飛んでいる始末。もうむちゃくちゃですね。
 『龍王の刺客』は「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」という古文書ネタの
話です。ご存じでしょうか。
 東北の津軽地方につい最近まで眠っていた古文書です。
 数年前、NHKでも真偽論争を起こして、ちょっと話題になりましたが。
まあこれがなかなか面白いものなんです。一言で言うと、東北にかつて
大和朝廷とは別の独立国家があったというものです。

 もう10年以上前、はじめて「東日流外三郡誌」と出会った頃は、まだ誰も
手を付ける作家はいませんでした。それでまあ、ちょっとやってみようかなと。
思ったのが運の尽き。調べていくうちに、どんどん深みにはまりこんでしまいました。
(いつものパターンです。はい)

 おまけに安東水軍が書きたくなって、気がついたら、墓穴を掘っていました。
 ペルシア人のロスタムが出てきたのは趣味です。
 中国・インドまで広く交易をしていたという十三湊なら、アラブのダウ船がいても
不思議じゃないのではないか−と思ったのですが。

 しかし後で驚いたのは、海音寺潮五郎氏の『蒙古来たる』にまで、ペルシア人が
出てきていたことです。知りませんでした。
(しかも文庫版の表紙が大好きなオウライさん!)
(こんな荒唐無稽なこと考えたのが、自分だけじゃなかったなんて! しかも大作家!)
 ほんとうにびっくりしましたよ。

 そういえば、司馬遼太郎氏も昔ペルシアの話を書いたとか。
 しかもデビュー作というではないですか。ううん、気になる。
(後に文庫が出ました『ペルシアの幻術師』)

 うちのロスタムの故郷は、当時のインドの向こう、イスラーム圏の東の玄関
ホルムズです。ペルシア湾の入口、ホルムズ海峡の所です。
 ここはかの有名なマルコ・ポーロが最初、ここから中国へ船で渡ろうとしたのですが、
あまりにも船がボロいので、ビビッてやめた所ですね。
 巻末の随筆にもホルムズのことを書く予定だったのですが、ページが足りませんでした。
 このホルムズへは、念願かなって、2年前にようやく行くことができました。
 でもその話はまた改めて。

★ところで。私は地図が好きです。
 旅行に行くと(行かなくても)、地図を見かける度に(種類が違うと)必ず買って
しまいます。(地図オタクと呼んでください)
 何故なら、地図によって載っている情報が違うからです。本を読んでいて、
知らない地名が出てくると、すごく気になります。その本に地図を載せていながら
本文に出てくる地名が載っていない時なんか、本当に腹が立ちます。

 マクシム少佐が
  「どうして外務省というところは、ひとつの地域のまともな地図を用意できないのだ。
  おれがほしいのは、ちゃんとした等高線や標高であって、専横な直線の国境ではない」
  「およそ陸軍陸軍士官にしてその階級に恥じぬ者、地図には抗いがたい。
  …その読み方を知る者にとって、地図は『未来』である。ただしそれは正しい地図で
  なければならぬ」(ギャビン・ライアル『砂漠の標的』)

 と憤った文章を読んだ時、私は思わず「そうなんだよ!」と叫んでしまったほどです。
(直線の国境線でも欲しいですが)     
(まあでも、私は陸軍士官でも、その階級に恥じぬ者でもありませんけど。もらろん、
外務省でもありません。でも正確な地図は好きです)

 正確な地図があれば、はじめての場所でも目的地まで行くことができます。
 地図には本当に多くの情報が詰まっています。だからせめて自分の本に地図を
載せるにあたっては、できる限りちゃんとした地図を載せたくて、凄く苦労して探しました。
なかなかないんですよね、ピッタリのものって。
 最近ではついにNASAの航空地図にまで手を出すハメになってしまいました。
(でもこれはこれで、意外と小さな地名が載っていないんですよ。肝心の地名が!
…お願いだからちゃんと載せて!)

★それから今年は実に忙しかったですね。
 まず映画『炎のアンダルシア』。中世イスラーム・スペインが舞台のエジプト・フランス合
作映画。もうまるで私のためにやってくれたような映画です。ロケがエジプトや中東
だったので、建物がどうしてもシリア・エジプト風になってしまったのが、変な感じが
しましたが。モロッコでロケができたらよかったのに。
 ストーリーは説明なしでぶっとばしていて、日本では全然分からない人が多いのでは
ないかと思ったのですが、きっと中東やフランス(欧州も)ではこれでわかるんだろうなあ。
というところが分かったのも面白かったです。
 自分としてはもうこういう題材で舞台や衣裳に凝ったものなら何でもOKというくらい
飢えています。もちろん大変楽しませていただきました。

★次に『並河萬里氏のエスファハーンの写真展』。
 私をイスラーム建築の迷宮に誘い込んだ一人。彼の写真集『アルハンブラ宮殿』に
出会わなかったら、私の人生は違っていたかも…。
(図書館で見つけたので探し回りましたとも、古本屋を)
もちろん以前出た『イスファハーン』も持っています(古本屋で)。
 だいたい彼のあちら方面の写真集は持っています(古本屋で)。          
 でも彼の生の写真を見るのははじめてでした。私もエスファハーンには2度行って、
もう山のように写真を撮ってきていますが、もちろん全然違います。
ほとんどの場所がわかったので、なるほど…と勉強になりました。

★あとイラストレーターの末弥純氏の原画展がもう、最高でした。
 彼はカラー絵を油で描いていて、当然ですが印刷と全然違います。微妙な色調も
素晴らしいです。圧倒されました。

★それに『騎士と甲冑展』(馬の博物館)がヨダレモノでした。かなり珍しいヨーロッパの
鎧がたくさん来てきて、しかも至近距離で舐めるように見られて、裏を覗いたり
できたんです。シアワセでした。

★それからケルト展、アンコール・ワット展、コンサートではパニアグワ古楽団、エジプト国立レダ民族芸能談もよかったです、ほんと。

 では次は未定ですが、いつかまたお会いできますように。
 インシャッラー。
                   1998・12

    チャイハネ・ひすいろう 2/1998年12月
     










































 



 











































































トップ アイコン
トップページヘもどる

inserted by FC2 system